IPPUDO OUTSIDE

Journal from IPPUDO spanning the world over

 

IPPUDO USA

博多から世界へ~IPPUDO NYが創り続ける
“JAPANESE WONDER”とは?

 





RAMENという言葉を世界中に広めたい

myramen_06

IPPUDO NYで総指揮を執るのが、ゼネラルマネージャーの鐘ヶ江文浩。1971年生まれの博多諸岡育ち、柔道で鍛えたガッシリした肉体に長髪がトレードマークの彼に話を聞きました。

小麦粉とは何か、を製粉会社から教わるところからスタート

柔道初段、パンクバンドのボーカルもギターもこなし、バイクの整備もできて、パンもラーメンも原理から語れる福岡出身の鐘ヶ江は、1990年に福岡のイタリアンレストランのキッチンで働いていた時に、一風堂創業者の河原と出会いました。1985年の創業から5年が経ち、大阪や東京に10店舗を構えていた一風堂は、さらなる店舗拡大を見据えて山王地区に麺とスープの工場を新設しようと準備を進めていました。食品製造の仕事は経験があったものの、麺もスープも製造は未経験だった鐘ヶ江の配属は商品開発。入社後に「こんな麺をつくりたいんだ」と河原からイメージを伝えられますが、その実現には高いハードルが立ちはだかっていたそう。「その道のプロに聞きに行くのが早い!」と考えた鐘ヶ江は、製粉会社に通って「小麦粉とは何か?」の基礎から教えを乞いました。原理が理解できれば、あとは持ち前の探究心でグイグイ掘り下げて難題を解決していく職人気質のこの男は、それ以降も様々なプロジェクトに招かれます。

一風堂が四半期に一度、唯一無二のラーメンを創作した一日限りのイベント「四季のラーメン」でのラーメンの開発や、社外への商品開発コンサルティング、上海での4年間にわたるラーメン店の立ち上げと運営や、福岡でのベーカリー事業の建て直しなどなど、重要で困難な案件に呼ばれては、独自の発想と緻密な仕事で状況を打開してきた鐘ヶ江。その原動力は「未開の領域こそ面白い」という好奇心と、持ち前の負けん気の強さ、そして、現場で困っている仲間の状況をなんとか改善したい、という熱い使命感でした。

そんな彼にNY行きの話が上がったのは一風堂がオープンする1年前の2007年。商品開発メンバーとして現地で商品準備のためにマンハッタンへ赴くと、店としての空間はあるものの、ガスも設備も仕入先もゼロの状況でした。日本から持ち込んだものは醤油だけ。小麦粉も、豚の骨も、野菜も、すべて現地調達する手はずでしたが、「ニューヨークで実績のない相手との商取引はできない」と断られ続けます。そんな “ないないづくし” の状況から、どうやって挽回してオープンできたのか?と尋ねると、「まぁ、なんとかなるもんですよ」と笑ってはぐらかされました。彼の目にはもう過去は映っておらず、現在と未来の話へと進みます。
「ラーメンはアメリカの国民食じゃないから、ハンバーガーやステーキみたいにはならないんです。だからRAMENという言葉を皆が知り、普通に使い、いずれ詳しくアメリカの辞書に載れば良いな、と。それにね、いろんなアメリカ人が、自分たちのRAMENをつくったら面白いことになりますよ。僕らは常識を自分で外せないから、どうしても振り幅が狭い。でもアメリカ人のシェフがつくると、コーヒー味とかね(笑)、あからさまに違うものが生まれたんです。それを目の当たりにして、あぁ、僕らはまだ日本のラーメンを押し付けているんだな、と痛感しましたね。だから、そういうRAMENの可能性の大きさを、僕らはどんどん拡げて、発信していくんです。」

この街で食っていける技術をスタッフにプレゼントしたい

鐘ヶ江のように海外に赴任する日本人社員の仕事を、多くの人々は「現地のお店でラーメンをつくる人」と思っていますが、実は大きく違います。彼ら海外赴任者の仕事は、いわば「マーケット開発」。現地で愛されるお店を現地のスタッフたちと共につくり、店舗数を拡大し、成長と歴史をつくっていくことがミッションです。鐘ヶ江はニューヨークの現地法人IPPUDO NY. LLCの社長として、日本から赴任してきた仲間たちと共に次なる出店地を探し回り、めまぐるしく変わるマンハッタンの外食事情にアンテナを立て、スタッフが働きやすい環境を整備しています。

日々の店舗の運営は、現地で採用した日米のマネージャーが担います。ホール、調理、製造などの担当領域ごとにマネージャーがそれぞれの現場を指揮。毎日行われるスタッフ全員での朝礼では、部門ごとに課題や気付きが共有され、より高いお客様満足につながるように各自がアイデアを出していました。こうした毎日の積み重ねが、一風堂クオリティの維持と、お客様からの期待へとつながっているのだと納得しました。

鐘ヶ江が最後に話してくれたのは、現地スタッフへの想いでした。「彼らが一風堂を辞めたとしても、自分で店を開けるくらいの技術をプレゼントしたいなとはいつも思っています。現に、包丁もろくに使えなかったスタッフが、もういっぱしの調理ができるようになっていますしね。接客技術とか、スープや麺の製造とか、コーヒーの淹れ方とか。一風堂で働いたことが彼らの未来の役に立つ。そんなチカラをプレゼントしたいっていっつも考えています。」

そんな未来を見据えて、一風堂は今、5thアベニューにニューヨーク3店舗目を準備中。次はどんなJAPANESE WONDERを見せてくれるのか、楽しみです。

 

Pick up! 一風堂NYを支えるのはこんな社員

型を作っているところ

百田 雄一朗
2017年4月から日本に帰国

一風堂太宰府インター店のアルバイトから社員になり、麺とスープの製造や新店舗立ち上げを経てニューヨークへ。「ニューヨークに来て、日本よりも気長になったと思います。飲食業は毎日、毎年続きますから、無理しちゃ続かないんです。失敗したらやり方を変えれば良い。物事は変わりますから、今できることを一つずつできれば良い。そんな風に考えるようになりました。」 日本に帰任後、福岡の一風堂スタンドの企画など、アメリカで得た知見を活かして店舗の仕事がさらにおもしろくなるように奮闘中。

細部の調整。削りを入れている

河野 英康
2017年3月にロンドンからニューヨークに赴任
大学でフランス語を学んでいたことから、パリで働いてみたいと入社。野球部で鍛えた体力を買われ、入社3ヶ月でニューヨークへの応援に赴く。その後、韓国の一風堂を任された後、ロンドンへ渡り、衛生基準の厳しいEU-HACCPを現地で猛勉強しながら、3年間麺を製造し、つくった麺を現地のラーメン店に営業する日々を送る。現在はNYで現地採用のマネージャーたちを統括しながら、HACCPの知識と経験をもとにさらに仕組化を進めている。



 
  1. 1
  2. 2
 

WORDS and PHOTOS by TOMOHIKO HARA
原 智彦 / CHIKARANOMOTO PR

大小の広告会社で「どうしてもこれが欲しい!」と求められる”ブランド”をつくるために、国内外の様々な手法で成功や失敗を重ねた後、食いしん坊が高じて食に関わる業界に転身。2013年に力の源グループに入社し、日本の食と文化の魅力を世界中に広めるために奔走中。好きな言葉は「#面白い仕事はつくれる」